記事は、かつて新聞社と契約して数年にわたり企画編集を行った新聞日曜版特集として掲載されたものである。
 これは2009年に掲載の巻頭記事で、2026年の現在はコストの増大に耐えかねて再開発事業は滞りもしくは見直しもやむなしの時流だが、当時は再開発事業への期待が大きく膨らんでいた。

「偉大なる田舎」、その心は

 昭和30年代後半、名古屋を「偉大なる田舎」と評したのは、1970年に他界した評論家の大宅壮一氏である。
 当時、大宅氏は開業したばかりの新幹線名古屋駅のホームに降り立ち、そこから周囲を見渡したとき、東京や大阪とはまるで違う景色と出会ったことが、氏の名古屋に対する印象を決定づけた、と言われている。
確かに、その当時の名駅周辺は、現在とはかなり違った景観であったに違いない。背の高いビルは疎らで、新幹線の一段と高いホームからは、青い山並みが遠望できたことだろう。
「偉大なる田舎」を単なる揶揄とするか、理想都市として賞賛するかは、解釈の分かれるところかも知れない。しかし、大宅氏の目には、東京や大阪など他のステーション都市がとっくに失ってしまったもの、つまり、「優しさ、温もり、親しみ、安らぎ」といった「田舎の良さ」が映ったのではないだろうか。
当時の名古屋は、既に200万の人口に達しようとしていた大都市であったが、緑豊かな丘陵が市域に連なり、都会の機能と自然とが絶妙に折り合っていた。


名駅ランドスケープの先

 早朝から夜遅くまで、人影が途絶えることのない人気スポットがある。
日本の東西を結ぶほぼ中央、半径100キロに及ぶ経済圏の核となる名古屋、その中でもっとも多くの人が行き交う名古屋駅、通称「名駅」とその周辺である。
 名駅を取り囲む景観は、ここ数年の間に大きく変貌した。1999年にオフィスタワー245mとホテルタワー226mが並ぶJRセントラルタワーズが開業、2006年には住商複合のアクアタウン納屋橋(高さ117m)、翌2007年はミッドランドスクエア(高さ247m)と名古屋ルーセントタワー(高さ180m)が完成、そして2008年には専門学校の入るモード学園スパイラルタワーズ(高さ170m)が完成した。
 何れも高さ100mを超える超高層ビルで、駅前の天空に高々とそびえ立つ。まさに未来都市を想像させる名古屋の新しいランドスケープだ。
さらにJR東海は、引き続き名駅地区において、高さ約260m(2017年完成目標)と約210m(2012年完成目標)の新高層ビル建設計画を昨年末に発表した。
 名駅地区再開発による新景観の創成はまだまだ続く。そして、名駅とその周辺地区に訪れる人々を魅了し続けることは間違いないだろう。
しかし、超高層ビルの林立する景観だけを捉えるのなら、東京や大阪、ニューヨーク、シカゴ、香港や上海、シンガポールなどに比べて、名駅地区に建つ超高層ビルの数は少ない。

 現在、約225万(2008年市統計)の人口を抱えるに至った名古屋だが、都心からさほど離れない東部には依然として緑豊かな東山丘陵が残され、市民の憩いの場となっている。また、輸出入の総取扱貨物量で国内一(2007年、空港を除く海港ベース実績)を誇る名古屋港には、多くの野鳥が飛来し、ラムサール条約に登録された藤前干潟がある。
「都市と自然」、あるいは「人と多様な生物との折り合い」という、いま、世界でもっとも希求される環境条件を包含し、文明と自然とが共存する都市のモデルがここにある。
 その価値を失う事なく、未来に残せる道路や建物、都市が必要とする新しいエネルギーシステムなど、さらに理想的なインフラ整備に向けた取り組みも必要だ。
 名駅は、その名古屋の玄関にあたる。だから、名駅のプラットホームからの景観を一望し、名古屋は、豊かな人情と自然を持つ田舎の魅力を失ってはいない大都市である。と、偉大なる評論家は後世に伝えたかったのかも知れない。その言葉の意味するところは大きく重い。

 再開発17年の歳月は、名古屋を大きく変えた。その先駆けともなった名駅地区の再開発事業による高層ビル群の林立はもとより、市内繁華街の中核となる栄地区にも幾つかの高層ビルが建ち、名駅地区と結ぶ幹線沿いにも次々と高層ビルが建ち、新たなランドスケープを創生させた、
 しかし、2026年の今。この間に世界各地で勃発した戦争、感染症パンデミックなど招かざる不幸によって事業コストが想定外に上昇し、再開発の推進を滞らせている。果たして、次の変貌はいつになるのだろうか。

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